夢のなかで夢を見ている

 

20200201

縁側に置いた水とごはんを見に行く。キャットフードにちょっとだけ口を付けたらしい跡が残っていた。水の器にも土埃とキャットフードが浮いていた。食べたり飲んだりするのが下手な猫なのかもしれない。夜中にこっそり戻ってきて、口の周りをびしゃびしゃにしている猫のことを想像した。
水を新しいものに替えた。しばらく様子を見ることにする。天気が良い。

スーパーにささみを買いに行く。
ちょうど職場の退勤時間とかぶってしまい、レジに職場の人がいるのを見つけて思わず隠れてしまった。しばらく自分の席で仕事をしていないので、ひさしぶりとか休んで何してるのとか聞かれるだろうなと思う。怖い。普通の質問にちゃんと答えられないことが怖い。
生姜湯のコーナーでしばらくじっとしていた。絶対に誰も来なさそうだから。なぜか生姜湯の隣にフルーチェが並べられていて、最近は抹茶のフルーチェとかもあるんだなあと思った。

 

20200202

昨日の夜供えたささみが消えていた。水には口を付けなかったらしい。初日水しか飲まなかった猫が、ささみだけ食べていくことってあるんでしょうか? 別の猫かもしれない…と思うけど、ささみを完食するくらい元気になってきたんなら嬉しい。
キャットフードは余っても捨てるしかないけど、ささみならわたしも食べられる。余りのささみの半分はわたしが食べて、もう半分をまた縁側に置いた。限界の者どうし、できることは助け合って生きていきたい。引き続き天気が良い。

ケーキをホール食いしたら元気が出るかもしれないと思い立って、ケーキを買いに行く。悩みに悩んで、いろんなブランドのいちごが乗ったケーキを購入。いちごの味の違いはわからなかったけど、とにかく生クリームとスポンジを大量に食べたら満足した。思っていたほど元気にはならなかった。どうせなら先輩と一緒に食べれば良かった。

夜、戸締りをしているはずの扉がバンバン鳴りだして、あまりの緊張に足がガクガクに震えてしまった。明日帰ってくる予定だった先輩がはやく帰ってきただけだった。こないだの窓を叩かれた日以来、不審者が家に侵入してくる妄想の輪郭がくっきりしすぎてしまって、些細な物音にビビりすぎてしまう。あと、今日読んだ「青野くんに触りたいから死にたい」が予想以上に怖すぎたせいかもしれません。

 

20200203

先輩と一日中こたつでダラダラしていた。それぞれ借りてきた漫画を読んだり、先輩がゲームしてるのを観戦したり、映画を観たりなど。

とある映画を観たのですが、ミステリーとしてのフリがあったからそのつもりで観ていたら、展開が二転三転して、結局恋愛に着地したので怒り狂ってしまった。わたしは失恋したおじさんが自己憐憫に浸る様子がかなり嫌い。
他の人の感想を漁ってみたけど、映画(に限らずだけど)の考察=ストーリーの謎解きだという認識の人が多い気がした。あなたがその作品をどう受け止めたのかを聞きたいのにと思う。辻褄が合うかどうかがストーリーの全てではないし、伏線が張られていることと伏線の張られ方が美しいかどうかは別問題だし、映画はストーリーだけでできていないはずだ。
それにしても良くなかった映画に言及するのって悪魔的に楽しい。何がどう良くなかったのかを言語化しようとするときほど、自分の語彙が生かされる瞬間はないと思う。

 

20200204

先輩と川へ行く。パン屋で好きなだけ甘いパンを買って、テントと椅子を積んで川に行く。
川原で水鳥を見たり、お湯を沸かしてコーンスープを飲んだり、漫画を読んだり、冷凍の小籠包を蒸して食べたりした。
コートを着たまましばらくテントのなかで眠ってみたりもした。目を開けたらすぐ大きい川が見えると思うと安心する。実際には見えていなくても。夢のなかで夢を見ているときと似た感覚だなと思う。目が覚めてもまだ非現実的な景色が広がっていると想像すると、とても穏やかな気持ちになれる。
コガモの群れ、ダイサギカイツブリを見た。

日が落ちてから喫茶店に移動して、閉店時間までブログの記事を書く。好きだった2ちゃんのスレについて。
無職になることが決まってからずっと混乱していた気持ちをなんとかしなければと思っていて、いろいろ考えたり試したりした結果、あの文章が出てきた。ようやく正しいボタンをかけることができたような気がする。いまの状況を解決するものでは全くないんだけど、いましか書けないものが出てきた気がする。

 

20200205

ささみを外に置きっぱなしにするのはやめることにした。本当にあの猫なのか確かめる方法がないし、餌付けしたところでその先の未来が全く見えないから。
できることをしてあげたいけど、正しい方法がわからない。仕事も貯金もない人間にできることはあんまり無いってこういうことなんだなと思う。
あの猫がまた目の前に現れたら、その時にまたできることをしよう。

昨日書いたブログが予想以上に多くの人に読まれていて嬉しい。でもこれはわたしの力ではないなと思うので悔しい気持ち。題材にしたスレの内容が良かったからだなと思う。そこに救われる人がいたら嬉しいけど、自分の文章の良さで勝負できるようになりたい。

 

20200206

あんまり人の来ない部屋で作業していたら、職場の人が「大丈夫?」と話しかけに来てくれた。
元気? きっと良いところが見つかるよ、大丈夫だって、海外行くのも良いんじゃない? これからどんなことしたいの?など、普通の質問に何ひとつまとも答えることができず、笑って誤魔化して会話を終わらせた。その人を見送って扉を閉めた途端涙が止まらなくなった。号泣しながら自転車を漕いで帰った。

心配されたり、きっと大丈夫だよって励まされたりしても、でもあなたたちはわたしを選ばなかったと思ってしまう。そんなことで落ち込んでても意味が無い。はやく前向きな気持ちに切り替えて、次の仕事を探した方がよっぽど生産的だと思う。でもこういう些細なことでものすごく落ちてしまって、そこからニュートラルな状態に這い上がるだけでものすごい気力と時間を使ってしまう。

帰宅後、コートを着たままこたつでうとうとする。架空のブログの「お前はそんなんだからダメなんだ」みたいなテキストを読んで、悔し泣きしながら暴れた。夢だって理解するまでにしばらく時間がかかった。

 

20200207

ついに先輩にまで当たり散らしてしまった。
自分で立ち上げた仕事にもやる気がわかないという話をしていたのだけど、「でも楽しみにしているお客さんのこと考えたら意味はあると思う」みたいなことを言われて、思わず「そんなのわかってるよ、わかってるけどできないから困ってるんじゃん」とキレてしまった。
正直、お客さんのことなんか何も考えていなかった。図星を突かれたからキレたのかもしれないし、その言葉の先に「お客さんのためなら、自分のことを考えるより仕事を優先すべきだ」という言葉が続くんだと思ったらなんか急に耐えられなくなってしまった。

そのまま浴室に逃げ込んで泣きながら服を脱いで風呂に入ったのだけど、わたしはなんで怒りながら風呂に入ってんだ?と思ったら冷静になった。行動があまりにもバカすぎる。でももう先輩は出て行ってしまったあとだった。

お客さんのことを想像したら意義があると思えるだろうっていうのは正しい。本当はそうあるべきだと思う。
でもこの仕事をやるって決めたとき、これで評価されればポストを用意してもらえるかもしれないという期待がかなりあったから、急に梯子を外されたような気がしている。ずっと拗ねている気持ちがあるんだと思う。馬鹿すぎる。気持ちを整理する時間が欲しいけど、大人になるって甘える時間が用意されないってことなんだなと思う。

湯船に浸かりながら、母から祖母の葬儀についての連絡を受ける。葬儀に参加するには明日の早朝に出発しないと間に合わないらしい。すぐに飛行機を予約して、先輩にさっきはごめんと連絡した。祖母が亡くなったので有給を取らせてください。

喪服がない。40分の乗り換えの間に買えるかどうか、駅から洋服の青山までの距離を検索してみる。