春やすみ日記

 
2018年の春休みの日記です。
 
 
1月31日
 母が群馬からインフルエンザを持って帰ってきた。祖母もインフルエンザらしい。葬式大丈夫なんだろうか。親戚全員インフルエンザの葬式、嫌すぎる。弔問客が多くてなかなか帰って来られなかったそうだけど、既に弔問客にもインフルエンザうつってる気がする。ていうか緊急退院してインフルエンザなってる祖母の家に弔問客押し寄せるって意味不明だな。そういう風習ってまだ廃れないんだな。
 夕方、コンビニに母のアクエリアスを買いに行く。月蝕らしいけど完全に欠けたタイミングで見えず。欠けたところも見なかった。一生に一度らしいけどめんどくさかったからまあいいや。月蝕にちなんで良いこと言ってるぽいツイートがバズっているのを見るとむしゃくしゃする。元恋人からの連絡も引き続き無視している。アクエリアスと冷凍うどんとトロピカーナのオレンジジュースを買った。
 試験が終わったのでホットワインハーゲンダッツ食べながら「ここは、おしまいの地」を読む。「川本、またお前か」がものすごくよかったからそこまでで一旦とめた。ゆっくり読もう。嫌いだった同級生が優しい大人になっていたことにものすごい勢いで殴られたみたいな気持ちになってしまうの、身に覚えがある。わたしもそうやっていままでの人生の意地悪でどうしようもないことをなんとか文章で吐き出している気がする。こだまさんの文章はすごく優しいんだけど。
 今日は二度寝をしたせいで一日中頭が痛かった。
 
 
2月1日
 昼寝が遅くなって夕方に寝た。目覚めてから豪雨のなか近所のスーパーへ行く。が、家を出て1分で傘がパンッと音を立てて自壊した。そんなことある? ビニールが劣化してたらしい。せめて傘を閉じようと格闘するも、傘を留めるボタンまで引きちぎれてしまった。一度帰ろうか悩んでいたら、通りすがりのおばあちゃんが折りたたみ傘をくれた。さらには「いいのいいの!おばあちゃんこうゆうの好きだから!」と言いながらぶち壊れた傘まで持って行ってくださった。世の中には優しい人もいるんだな。おばあちゃんがくれた水玉の傘をさして、無事蛍光灯と黒タイツ、パイナップルを買って帰った。
 
 
2月2日
 起床即母にしょうもないことで説教され、どうしてあんなに反論したのか自分でもわからなくなり泣きながらベランダに出たら、ほとほと雪が降っていた。冷静に考えると超くだらない。こんなことで一人で泣いたりしててみじめすぎる。
 親知らずを抜いてもらいに御茶ノ水へ。歯を抜くのはそんなに怖くない。前回も大丈夫だったし。というかあの椅子に自ら座ることを選ばされた時点で、痛いとか怖いとかいう感情はもう無駄なんだなと悟る。抵抗しても無駄だし、怖がっても無駄。ガリガリゴリゴリ頭蓋骨ごと顎の骨をやられながら、暇をつぶすためにいつも眠るときにやる妄想をした。足の親指から順番に、足首、膝、腰、背中、肩、首と中身が抜き取られていって、抜き取られた部分は自分の身体ではなくなっていくという妄想。さすがに集中できなかったけど、両足の中指までは抜けた。
 終わったあとひとりでカフェに入る。麻酔が抜けないままコーヒーを飲むと、カップの熱さが唇の左半分でしかわからなくておもしろい。「ここは、おしまいの地」続きを読む。文章を書くことを周りの人に知られたくない、でも知ってほしいのかも。というこだまさんの悩みに共感してしまった。文章では心の柔らかい部分を書いてるから、そこまで知られちゃったら顔を見て付き合えないような、でも知られないでいたらいつまでも上っ面の付き合いから抜け出せないような、微妙な気持ちのままでいる。顔を出して、ペンネーム=自分として活動している人はすごいと思う。ほんとに。
 帰ってやたらお腹が空いていたのでお茶漬けを食べる。お茶漬け用に明太子を買って帰ったけど失敗した。辛いのか痛いのかわからない。たらこにすればよかった。でも調子乗って明太子なんか買ってきてと母にまた説教されるのが怖いので、何も言わずに痛いお茶漬けを食べた。鎮痛剤がきれてたせいなのかな。それとも歯の裏に入った米粒を吸い取ろうとする癖がよくないんだろうか。まじで痛い。味噌汁は飲める。
 ゲームのエンディングみたいな曲が好きだなと思う。年末を好きな気持ちに近い。生きてる限りハッピーエンドは来ないけど、年末は擬似的な終わりをハッピーに受け入れてるかんじがして好き。「あんなこともあったね、こんなこともあったね、全部終わっちゃったけどあたしたちよくやったよね」みたいな、天国のはしごを登るときみたいな気持ちになれる。映画のエンディングはまた違うと思う。映画は他人の物語だけど、ゲームは自分の物語だから。ゲームは映画と違ってばっちり決まったシーンばかりじゃなくて、迷ったり何回もチャレンジしたり、無駄なことも全部含めて自分の物語で、ゲームのエンディングにはそういう自分の物語を思い起こすための余白があるように思う。映画のエンディングは他人の人生を引き立たせるための壮大な音楽が流れるイメージだけど、ゲームのエンディングは静かな場所でおもちゃの楽器をひとつずつ鳴らしてみてる、みたいなイメージ。思い出をひとつずつ葬っていくための時間なんじゃないかと思う。蓮沼執太のeurikago afternoonという曲がすごくよかった。
 
 
2月3日 
 9時ごろ目覚める。夢を忘れた。あくびしたら頰が引きちぎれそうになった。あくびで死にたくない。
 着替えながら甘酒を飲みきる。ここのところ一週間ほど起きてすぐに甘酒を飲んでいる。肌きれいになるといいなーと思って飲んでるけどそんなに変化を感じない。てゆうかたばこを日に半箱吸うのが悪いと思う。お茶漬けを食べる。
 ちっちゃい悩みが積み重なって思考がガビガビになってるかんじがしたので、昼のうどんを食べてから駅前に出る。ノートに最近考えてることを全部書き出して眺めたり、手帳にシール貼ったり、スケジュール組んだりをした。スケジュール用の手帳と考えるためのノートを往復してる時間がすごい好きだ。書いたらちょっとスッキリした。たばこを一週間やめてみることにする。わたしはめちゃくちゃ意思が弱いので、決意のために買ったばかりのたばこを駅前のミニストップで捨てた。まだ五本しか吸ってなかったのに……。この犠牲のためにも、一週間は吸わない。がんばる。
 肉豆腐用のめんつゆを買って帰ったら母の機嫌がなおっていた。よかったー。
 明日お通夜。マニキュアをただの透明に塗り替えた。母方の親戚には何年も会ってない。数年前、伯父からの電話をオレオレ詐欺と勘違いした挙句「いい加減にしてください!!」と叫んでガチャ切りした前科があるので絶対に伯父に会いたくない。無理か。
 寝る前、枕元の読書灯が切れていることに気付いた。これ、地味に便利なので無いと困る。さわるだけでスイッチのオンオフができるから、いつも寝る前に布団から手を伸ばし頭を撫でるかんじで消している。今日は頭をぽんとしても何も反応が無く、めちゃくちゃなさみしさに襲われた。友達もおらず、家族ともうまくやれず、就職も決まっていなくて超一人なのに、これ以上さみしいことが起こったりしないでほしい。
 
 
2月4日
 6時に起きる。夢もなんとなく覚えている。台所でお茶漬けを食べる。
 8時、喪服に着替えるのはあとにして、スウェットの上にコート着て散歩に出る。暇なのでコンビニまで川沿いに歩く。いつもの橋には鳥がいなかったけど、歩く途中でコガモカルガモと鳩とハクセキレイと、あと何の鳥かわからないけどまあまあ大きくて鳴き声がうるさい鳥を見た。コガモは警戒心が強いのか、フェンスに登って顔を出すと慌てて飛んで行ってしまう。鳴き声が好きなのになー。鳩がアパートの窓のひさしの上を争って喧嘩してるのも見た。こないだの雪の日も、日向になってるひさしは人気スポットだった。今日は三羽以上がひさしに乗ると全員がわたわたし始め、結局誰かがはじき出されていた。帰りに四羽がムスッとしつつ並んで日向ぼっこしているのを見た。
 帰って喪服に着替える。10時過ぎに出発。
 インターでお昼ごはんを食べる。ねぎとろ丼とそば。妹が買ってきてくれたセーターが、わたしのと妹のとでデザインが違うことに気付く。お揃いになるのが嫌だったらしい。わたしも妹の着てる丸襟のカーディガンがよかったな。
 昼過ぎに祖母の家に着く。従姉妹のみいちゃんとしょうこちゃんの見分けがつかない。みいちゃんとしょうこちゃんもわたしたちの見分けがついていない。みいちゃんはわたしの後ろ姿をしょうこちゃんだと思い込み、わたしのコートのベルトをずっといじっていた。
 祖父にお線香をあげる。はじめて死んだ人を近くでまじまじと見た。寝てるふうには見えない。確かに何かが抜けてる。見たこともないような穏やかな顔をしていた。順番にお線香をあげてからみんなで祖父を見送った。車がぷあんとクラクションを鳴らしながら門を出て行った。長く暮らした家族がああやって家を出て行ったらものすごく大きな感情が襲ってくることだろうなと思った。
 親戚全員で通夜会場へ行く。人数が多いので家でやるはずだった納棺を会場でやる。思ってたより普通の事務所みたいな場所だった。こういうところでやるのか。しょうこちゃんの耳のあたりから喉にかけての肌が透けるように白くて、魚の腹みたい。昔からしょうこちゃんの薄い手の甲の皮膚とか広くてすべすべの爪なんかに憧れてきた気がする。祖父の手を脱脂綿で拭いたら蝋人形みたいに冷たくて硬かった。よく死体は冷たくて硬いというけどどれくらいかあんまりよく知らなくて、蝋人形が一番近い気がする。毛の生えてる蝋人形。指先がもう黒ずんでいる。
 みんなで草鞋を履かせたり一円玉を持たしたりした。ここの地方の風習なのか、麻の紐を渡され、たすきがけして、最後に集めてそれも棺に入れていた。どういう意味があるのかは謎。
 暇になるとみんなロビーで昔の祖父のスライドショーを見ていた。一枚おきに微妙すぎる風景画像が映るのでなんか微妙な雰囲気になる。祖父の遺影も、背景が花畑になったり川になったりぽわ〜んと変化していた。どういう演出だよと思うけど、年寄りたちはああいうものに心癒されたりするのだろうか。
 通夜のあとの法話が超つまんなくて、わたしが死んだときはああいう適当な坊さんの説教とか絶対やらないでほしいと思った。いまの人はとにかくだめ、昔の人間はきっちりしていた、人間が生きている理由はこどもをつくって先祖のつくった文化を教えることだ、を繰り返していて、わたしは途中で飽きてうつくしい人間の足について考えていた。わたしはぺたんこのパンプスしか持ってなくてそれを履いてきたけど、妹や従姉妹たちの高さのあるヒールが綺麗で、羨ましくて、わたしだってああいうヒールを履いてもいいんだよなと思った。いつも背が高くなりすぎるのを気にしてヒールを買えない。でも本当は履きたい。綺麗なヒール、似合うと思う。
 通夜のあとのごはんも辛かった。従姉妹たちと離れたせいもあるけど、知らん親戚と目合わないようにしなきゃだし、誰もうまく喋んないし、わたしも無職に向かってることを突っ込まれたくないし人付き合い用の体力がきれたので、ほとんど無になっていた。親睦を深めることが目的の飲み会、ほんときつい。みんなでマリオカートとかしたほうがよっぽど親睦深まると思う。
 ホテルに向かう途中のコンビニでカップラーメン買ってもらった。アイスも食べたかったけど溶けちゃうしなー。
 ホテル入って服脱ぎながらお風呂の準備したりWi-Fiのパスワード探したり、やることがいろいろあっておろおろするのが好きだ。お風呂入って裸でふとんにバスーてやるのやって、カップラーメン食べた。やることないしさっさと寝る。できたら明日早起きして散歩したい。
 
 
2月5日
 ホテルの食堂でコーヒーを取りに行ったら、たまたま手に取ったスティックシュガーの口が空いていて、自分のマフラーに思い切り砂糖をまぶしてしまった。口開けてから戻した人がいたのかな。群馬わけわからん。
 めちゃくちゃ寒いと聞いてたけど、日も出たしそこまででもない。昨日の斎場で告別式をする。みんなで祖父のまわりにたくさんお花を飾る。祖父は甘いものが好きだったから、とお饅頭とか大福とかもたくさん入れる。仕上げに伯母が買ってきたあずきバーも添えられた。袋を開けてやるべきか否かとか、棒を上向きにして上着のポケットに入れといてやろうとかめっちゃ盛り上がった。
 火葬場へはマイクロバスで行く。昨日より見たことない親戚がいっぱい来ていて、しょうこちゃんたちがあぶれた。誰なんだろうあの人たち。祖父は名前が八郎で、8番目に生まれたから八郎なんだけど、だから上に7人兄弟がいて、でも全員もう亡くなってるからその子供とかが来てるらしい。祖父が最後だった。8番目なのに末っ子じゃなかったのもすごいけど、末の妹は戦時中に亡くなったらしい。
 火葬場は最近建て直されたらしくてピカピカに新しい。山の上にある。棺の移動も電動台車みたいなやつでウィーンてやる。焼き場の上のディスプレイに祖父の名前が表示されていた。
 待合室で待ってるあいだにおにぎりとかおやつを食べる。とおるが部屋中の柿ピーを集めて食べていた。みいちゃんやしょうこちゃんが来てくれてなんとか間がもったけど、厳しい。これがまじで知らない人だったらもうすこしがんばれたかもしれないけど、自分の家族が目の前で見ていることとか、年頃の男の子への接し方がめちゃむずいことなどが合わさって厳しい。いっそうまく接せられない人として生きていきたい。
 焼きあがってから骨壷に骨をおさめた。これをやるのはじめて。妹と選んだ骨が小さかったのもあるけど、軽かった。親戚全員でも骨はおさめきれなくて、係の人がやってくれた。あの人毎日この仕事やってるのかな。人間の最後の姿を壺に収める仕事って緊張感やばそう。めちゃくちゃ丁寧に刷毛を使って骨の粉を集めていた。そうだよね、集めるだけ集めてすくわなかったりしたらすなわち捨てるってことになっちゃうもんね。ほんとに大変な仕事だな。
 骨を見ると諦めがつくんだなと思った。燃す前は身体だけ残ってるのにもういないって感じが強かったけど、骨見たらまあ仕方ないよな〜てかんじ。骨だし。
 ふたたび斎場へ。さっきおにぎり食べたばかりなのにめちゃくちゃ豪華な懐石料理がある。食べてたらさらにうどんも追加された。えいたくんが食べ終わってからその向こう隣りのユキちゃんと喋った。
 締めの親戚のおじさんの話がけっこうよかった。祖父のいとこの旦那さん? おじいさんはこれから三十三年かけて修行をして、本当の仏さまになるためにがんばるから、みなさんお寺なんか行ったらおじいさんを応援してあげて、それから生きているおばあさんが困ってることあったら手を貸してあげましょう。それが残されたわたしたちの務めです。と言っていた。昨日のお坊さんのつまんない説教より全然よかった。そんでみんなもお坊さんの話そんなに良くなかったと思ってたっぽくて、よかった〜と思った。
 上の場の家に帰ったら寒い。寒さがぜんぜん違う。祭壇をつくって祖父のお骨を置いた。それからみんなで順番にお線香をあげた。知らん親戚はいなくなったけど、孫だけで9人いるから行列ができた。
 お線香あげたあとお茶の時間があって、なんかみんな広いほうの間にいて、こたつにはわたしと妹とてるちゃんひでちゃんとなおみさんしかいなかった。全員下を向いていた。つらくて心がゴリゴリになった。別にわたしが全部悪いわけじゃないけど、話しかけにくいかんじになってしまったことに勝手に責任感を感じて余計しんどい。こんなこと気にしたくないのに。やっぱりこういうの向いてない。
 帰りは寝るかなと思ったけどうまく寝れなかった。
 コンビニでいろいろ買って帰宅。セブンの冷凍チャーハン美味い。シャワー浴びてから寝る。
 
 
2月6日
 8時半に起きる。昨日はあまり眠れなかった。台所でお茶漬けを食べる。散歩に行く時間が無かった。
 コーヒー淹れて部屋でやらなきゃいけないことをやる。はずだったけど途中で泳ぎに行きたい気持ちが爆発してスポンジタオルや水着を探すなどしていた。スポンジタオルはあった。水着は無かった。まああったとしても軽く六年前のものだから着ないほうが良さそう。高校のトレーナーが出てきて嬉しかった。ボロボロだけどまだ着る。本当に袖口のリブとおしりの包み込みかたが素晴らしい。ずっと高校のトレーナーを着続けたい。
 昼前に洗濯物を取り込む。よく日のあたるベランダは好き。
 昼もお茶漬けを食べる。明太子を食べきったし親知らずの痕もたいして腫れなかったので、もう普通に食事できそう。
 泳ぎに行くために陰毛を切った。昼寝のあとペディキュアも塗り直した。貝殻の裏みたいな色。
 市民プールの様子を見に行く。小学生の頃に行って以来なのでどんなんだったか忘れた。売店で水着は売ってたけど高い。Amazonの二倍する。ちょうどプールの個人利用ができなくなるタイミングだった。間が悪い。まあでもどうせ水着は注文するからいま手に入らないし、様子がわかっただけよかった。水着を手に入れたらまた来よう。
 帰りに図書館の様子も見た。カードを再発行して本を何冊か予約。
 駅前の薬局で箱ティッシュを購入、ドトールで考えごとをした。だらだらもしたのであまり進まず。明日も来ようかなー。
 休煙三日目、やっぱり煙は吸いたい。ビタフルを注文した。明日届くの楽しみ。
 読書灯も生き返った。嬉しい。
 
 
2月7日
 午前4時半、寝るのに飽きる。布団でごろごろしてたけど5時半には起きた。
 7時半ごろ散歩へ。川沿いをコンビニまで歩く。朝ごはんも食べたけどあんまんを買って、あんまん食べながらまた川沿いを歩いた。朝はやい時間の川は透明度の高い色が混じり合っているかんじがして好きだ。光もくっきりしてて良い。
 昼寝のあと、コンタクトをつくりに吉祥寺へ。バスのロータリーで、くっついてる鳩を見た。一羽がちょっかいをかけていて、もう一羽は引いてるっぽいけど距離はずっと近い。勝又の漫才みたい。どういう関係なんだろう。
 コンタクトをつくって喫茶店で考え事をする。めちゃくちゃたばこ吸いたい。代用品としてVITAFUL買ったけど吸った気がせん。これたばこじゃない。あとわたしの吸う力が弱いのか、三回に一回くらいしか反応してくれない。あとの二回はただただ空気を吸ってる。虚しい。たばこやめるメリットがよくわかんなくなってきた。てゆうか喫茶店でたばこ吸う人生のほうが豊かだろ。ほんとは好きな喫茶店入りたかったけど絶対たばこ吸いたくなるからやめたくらいだし。あとどれくらい東京にいられるかもわかんないのに。我慢するの無駄だという気がしてきた。
 吸いたいうちは吸わせろ!コーヒーとたばこはサイコー!という気持ちで人混みをずんずん歩いていたら全く知らない女の子と二秒くらい目が合ってしまい、すれ違いざまに「キモッ」と言われた。しばらくそのまま歩き続けたけど、どこに向かえばいいんだかわからなくなっていることに気付いた。見ず知らずの人間にすらキモいと言われるのか。なんなんだ。でもドキッとしたのは、わたしがその女の子と目が合った瞬間、こいつそんなイケてないなと思ったからかもしんない。黒髪を伸ばしてて、でもくせ毛で思ってるかんじにならないんだろうなってかんじが自分に似ていた。先にキモッて思ったのは自分だったかもしれない。目が合ったときに、その見下したかんじが伝わってしまってたのかもしれない。その瞬間の感情の動きを見抜かれた気がして、どこに行くんだったかよくわからなくなったままとにかく歩き続けた。
 
 
2月8日
 6時半に起きる。5時半に一度目覚めて、けっこう長編の夢を見てこれは忘れないでしょ〜と思いつつ辿っていたら二度寝していた。長編の夢は忘れてしまった。
 昨日買ったチョコのパンを食べる。途中でお腹いっぱいになったので、食べきらなかったふたつめのパンはラップして冷蔵庫に入れた。
 お腹いっぱいなことに気付かずもたもた食べようとしていたのであっという間に歯医者の時間が来て、若干遅刻。右下の親知らずの抜糸をしてもらう。抜歯より痛かった。縫い目が歯茎に埋まってしまっていたらしい。傷の穴が深く、汚れが溜まりまくっているので来週も洗浄に来てとのこと。
 帰りに牛を見に行ったけど牛は見えなかった。一日中牛舎のなかにいるのかな。昔は外を歩いていた気がするけど、気のせいかも。まわり住宅地だし。夜だと明かりの点いた牛舎のなかが見えるのは覚えてる。ンモーと鳴いてる牛の声を聞いて帰った。
 くぐつ草でカレーを食べる。くぐつ草のカレー食べるならたばこ吸うでしょ!と休煙5日目にしてたばこを買ったが、記憶のなかのおいしさに現実が負けた。なんか思ってたほど美味しくなかった。えぐみが強い。あと動悸がすごい。
 眼鏡屋をいくつかまわる。眼鏡にも色だけじゃなくて、形とかフレームの太さとか軸の位置とかいろんなパラメータがあるんだなと気付く。前回買った眼鏡は多分10年くらい前で、そういうのわかんなくて母親に連れられて行った眼鏡市場で雰囲気がいいと思った眼鏡を買った気がする。良い眼鏡屋に入ってここのが欲しいなと思うけど高い。ていうか眼鏡の相場がわからない。やっぱり高いのか?(調べてみたらめちゃくちゃ高かった)最初レンズも込みの値段だと思い込んでいて、視力測ったあとでそういえば…と聞いたらレンズが13000円もした。まじか。大丈夫ですかと聞かれてはいと言ってしまった。
 良いなと思って買ったのにこんな気持ちになりたくない。でもやっぱ高いと思う。身の丈に合わない買い物をしてしまった。しかも親の金だし。自分の金で買えよってかんじだけど就活失敗して就職決まってないし。自業自得だし。良いなとは思ったけど本当に似合っているのかよくわからないし。どうやってもブスだし。昨日知らない人にもキモって言われたし。といろんな気持ちがブワーッと溢れて店を出た。出来上がるのは来週らしい。カードで支払った分のお金だけが無くなった。
 サンマルクで考えごとをするもさっきの気持ちの渦と就活の失敗に向き合わなければならない気持ちの渦とがぶつかり合い、つらい気持ちになり、全然関係ないことを考えた。いろいろダメすぎると思う。
 
 
2月9日
 5:30に起きた。昨日のパンの続きを食べる。
 ごはん食べて顔洗って髪をなんとかするまではスムーズにできるのに、部屋で化粧するのに一時間半かかる。化粧に一時間半かかるんじゃなくて、やる気を出して机に座って動画とか見ながらやって、また動きだすやる気が溜まってくるまでに一時間半かかる。単純に自室が寒すぎるのかもしれない。エアコンつけてるけどあったかくはないし。ひどい冷え性なので自室にいるだけで手が氷のように冷たくなる。ストーブ置きたいけど自室に置くのはだめらしい。明日からずっとストーブの前で生活しようかな。
 身体をあたためてから駅前へ出る。ファミレスで履歴書を書くがやる気がないし劣等感がつのるので向き合いたくない。かなりの時間をだらだらに費やす。気合いを入れてガッと履歴書書いて、コンビニで印刷してあまり封筒を見ないようにしながら駅前のポストに投函した。なるべく動きを止めず、本当になんでもないもののように放り込むことを心がけた。はやく忘れたい。履歴書を送るとき、「誰にも読まれず葬られますように」といつも思う。何回直しても内容がめちゃくちゃだし、自分の身の丈に合わない仕事を希望するなんておこがましい、誰にも笑われたくないなどの気持ちがごちゃごちゃになってそういうことになる。
 午後は師匠と先輩の仕事を手伝いに行く。他のサポートのスタッフにも何人か知り合いがいて、狭い業界だな〜と思う。ふたりに会ったのは五ヶ月ぶりだけどぜんぜん変わらないのでほっとした。自分も相変わらずもちゃもちゃ喋っててキモいと思う。
 ふたりと道玄坂のタイ料理屋へ。ここはなんでも美味しい。就職どうしよ〜と相談したら、「えっこっち帰ってくるんじゃないの?」と言われる。嬉しかった。一応他の選択肢も探すけど帰りたい。
 帰り、タクシーを捕まえて先輩に「駅あっちだよ」と言われてなんかめちゃくちゃびっくりした。完全に一緒に帰るテンションだった。いつもごはん食べてドライブしてコンビニ寄って家帰って、順番にお風呂入ってアイス食べて寝るか〜言って廊下で別れるところまで一緒にいたから。東京だと夜にバイバイしなきゃいけないのはさみしい。ひとりで歩いて駅に向かった。
 こんな美化して書いてる気がするけど、ふたりのことを尊敬してるしすごく好きだけど、自分がいて楽しく話せてるのかわからなくて不安になったりつらくなることが全然あるし、噛み合ってないのかなって思うことすらある。美化せずに感じたことをちゃんと残しとかないといけないなと思う。
 
 
2月10日
 こんな日に限って寝坊。ギリギリ間に合うくらいの7:30に目が覚めた。朝ごはん食べるのを諦めて素早く準備して、起きてから30分後の電車に乗った。自分もこんなに素早く動けるんだなと思う。
 結局集合10分前に会場に着いた。ふたりは遅れているらしく、会場前のベンチでしばらくふたりを待った。
 午前中の仕事を終え、みんなで近所のガパオ屋さんへ行く。またパッタイを食べた。Kさんは昨日25時過ぎまでライブにいたらしい。フィリピンから来てた赤い髪の人は朝6時までライブを完走したらしく、メチャネムイと言ってた。やっぱ体力ある人が多い。体力無いと人脈増やせなかったりやってけないところがあるんだろうな。わたしは全然体力無いし基本的にはやく帰りたい。でも師匠はそういうのだるいとかめんどいとか言ってあまり行かないことが多い。代わりに本当に話したい人とじっくり話す時間を取ったりそこでちゃんとつながりをつくっている。そういう能力がないと難しいのかなと思う。
 午後もなんとか仕事を終え、急いで撤収。A山さんが遊びに来る。解散後、四人で話そうてなってなんとなく喫茶店に入る。A山さんにちゃんと挨拶するのはじめてだったけど、何度かすれ違ってるし認識されてはいたっぽい。A山さん、めちゃくちゃ頭の回転はやいのに嫌味なところが全く無い方だなと思う。師匠との話には全くついていけなかった。
 わたしは会話のキャッチボールを投げ返さずに受け流してしまいがちで、こんなん何年も前から気付いてて克服するためにいろいろやってきたはずなのにちょっと間を置くとまた元に戻ってて、これは自分の変わらない性質なのかと思う。それならそれで相応の道を進むべきだろうに諦めきれなくてずるずる相手の時間を無駄にしているような気がする。だいたいのシチュエーションが、初対面の目上の人がいて、わたし以外はみんなその人と知り合いっていう状況なのもハードル高い。厳しいぜ。
 
 
2月11日
 7:30に起きる。あまりはやく起きれなかった。シンポジウムとかって強制参加じゃないからいつもなんとなく遅刻気味になってしまう。
 シンポジウム後、他のメンバーと合流してお昼に行く。師匠は午後もあるかなんかで来なかった。あとゲストの外国人ふたりと、Yさんという方にご挨拶する。何の人かよくわからん。こうゆうのがよくない。
 青山の地下の中華に入る。めっちゃ安い。豚肉と搾菜の炒め物を食べた。PさんT田さんと同じテーブルだったので進路相談を聞いてもらう。お手本になる人がいないし、資格も持ってないから王道を歩けるわけでもない。となるとこの仕事一本で食べていくのは厳しいっぽい。自分の根本にある文章のことが仕事と結びつかないしジャンルが全然違って苦しい、みたいなことを考えてたけど、仕事やりながらそっちに引っ張っていけばいいんじゃないかとも思う。誰も持ってない組み合わせの武器で戦うしかない。
 お昼食べたあとシンポジウムに戻るチームと解散。また遊びに行きますねと言って別れる。
 展示見に行く前に疲れたのでコーヒー飲んで休憩した。シンポジウム聴きながら考えてた全然関係ない話や進路のことなどをメモ。
 夕方帰宅。帰りに日記の新潮を買う。部屋汚い。ほんとは今日掃除とか予定たてなおしとかする日だったけど、展示見に行ったりしてたらすごい疲れてしまった。働くより疲れる。
 キムチ鍋食べた。
 
 
2月12日
 午後の仕事を終えてから、三人で原宿へ。師匠がクレープ食いたいというので三人で路上でクレープを食べる。苺とクッキークリームとチーズケーキのクレープ。
 クレープ屋の前で元恋人の妹と合流。師匠にインタビューのアポを取りにきたらしい。原宿の展示を一緒に見る。わたしは昨日も観たので2回目。引き続き展示の外で台本を印刷してる作品が気になった。ブースのなかに入ると映像があるけど、台本の文章が細切れに映るだけで、人とかは全く映らない。物語もありそうで無い。ヘッドホンつけたら音声とかあるのかなと思ってつけるけど、緊迫感のある音楽が流れるだけで台詞とかが聞こえるわけではない。そこに物語を見出したくなっちゃうこの気持ちは何なんだろと思う。何かが起きてるっぽいけどカオスの一片しか見えない。現実もそんなもんなのかもしれない。
 原宿を歩いてうどん屋に入る。元恋人が留年しかけているらしい話を聞く。師匠いわくまあいつか失敗するであろう性格だから学生のうちで良かったんじゃないかとのこと。元恋人の妹も「兄のたとえ話が15回に1回しか理解できない」とか言っててめちゃくちゃ笑ってしまった。
 元恋人の妹は大変優秀で、師匠にいろいろ質問をしていた。自分の専門分野でもあるはずなのに、ふんふんと穏やかに微笑んでいるうちに話がわからなくなり、途中から完全に置いていかれてしまった。つらい。
 帰り際も意外とはやい時間に解散になって、師匠と先輩はコンビニ寄るけどふたりは気をつけて帰れよ〜てかんじで、次いつ会うかわかんないし、来年また一緒に働けるかもわかんないし、最後全然話せなかったしで、めちゃくちゃさみしくなってしまったけど、解散した。いつも何かを言いそびれてしまう。でも何を言いそびれたのかもよくわからない。帰りの電車で何度も涙がじわじわきて、こんなことでメソメソしてんの最悪。あまりに最悪なのでまっすぐ帰れず、駅前のファミレスに寄ってひとりで反省会をした。せめて専門分野のことくらいは語れるようになりたい。とにかく文章を書こうと思う。誰に向けて、どんなふうに書けばいいかまだよくわからない。とりあえず日記を公開するか。
 ド深夜の帰り道でも、きちんと信号を待った。誰も見てなくてもこうやって待ってる、この気持ちを大事にしたいけど、こんなしょうもないものを大事にしてることへの罪悪感もあって、ずっと引きちぎれそうになってる。
 
 
2月13日
 一年ぶりに働いたのでゆっくり寝ていいことにした。昼に起きて一日何もせず。
 最近毎晩お風呂でシロちゃんの動画を見ることが日課になっている。もうシロちゃん無しの生活なんて考えられない。アイドルにガチ恋してしまう人たちの気持ちがわかったような気がする。
 シロちゃんのどこが良いかというと、素のかんじを自然に見せてくるところだと思う。最近の動画、もう最初と最後以外ずっと素じゃん。演技の声ももちろん可愛いですが、素のちょっと低めの声や自分で言ったことに自分でツボって笑っちゃうかんじがマジで可愛い。好きになっちゃう。わたしの前では演技じゃなくて素でいてくれるんだって思う。もちろんシロちゃんは電脳アイドルを目指しているのであり、チャンネル登録者数もそろそろ35万人いきそうですが、iPhoneの画面越しにシロちゃんを見るときわたしとシロちゃんは一対一なのだ。電脳アイドルはそこがやばいと思う。めちゃくちゃ仲良い友達みたいな感覚に陥っている。わたしの前で楽しそうにしてくれてありがとうって思うし。最近VR live動画見るの気が進まなくなってきた。他の視聴者の存在が邪魔なので。
 
 
2月14日
 眠気がひどい。自分ではコントロールできない。寝る前に日記を書くのが悪いだけじゃなくて、生理前の猛烈な眠気のせいもある。9時ごろ起きる。
 ベランダで新潮の日記号を読む。知ってる人半分くらいしかいないけど、人の日記読むのってなんでこんなにおもしろいんだろう。人によって何を記録するかとか、文体もぜんぜん違う。食べたものや会った人の記録もおもしろいけど、エッセイみたいにするする読める文章がやっぱりおもしろいな。小説家の日記はそういうのが多い気がする。
 最近日記をつけながら、いつ書くかによって文体が変わるんだなと思う。寝る前につける日記は、短期記憶のメモリをがーっと無理に遡って、その時々で感じたことをメモしていくかんじ。時系列で情報を並べていくので、まとまった文章になりにくい気がする。あと、寝る前に書くと脳みそが引っ掻き回されてうまく眠れない。夢も見ない。翌日以降に書くと、余計な細部のトゲがとれて、なめらかな文章になる気がする。記憶をまとまりとして捉えるかんじ。もっともっと昔のことを書くときは、もっと大きな塊を吐き出すかんじだから、時間が経てば経つほど大きな塊になっていくのかな。読み返したときに納得いく文章になってるのは翌日以降に書いた日記だと思う。でも、「余計な細部のトゲ」は取っちゃっていいんだっけ。その時々で感じたことは矛盾したりしていて、それが現実だと思う。でも大きな塊として吐き出すときにはそういう矛盾はなるべく削ぎ落として、読みやすい物語にしてしまっている気がする。これって本当のことを書いてるって言えるんだろうか。無意識にわかりやすい物語にまとめていってしまってるかんじがして、それが良いことなのかどうかわからない。うまく言えないけど。
 コーヒー淹れて春休みの日記を公開した。悩んでるよりやってみて考えよう。
 寝すぎたせいか身体がうまく動かず。こういうときはラジオをかけるとなんとか身体が動かせる気がする。誰かが喋ってるの聞くと安心する。ウィークエンドシャッフル終わっちゃうのさみしー。コンビニまで散歩しながら川を見た。日が落ちたあとの薄暗い川で、真っ白い小鷺が光っていた。
 今日はあたたかかった。夜、冬の間は聞こえなかった電車の音が、町のはじっこに反響して部屋までやってきた。どうしてあったかくなると電車の音が聞こえるようになるんだろう。あの夜の電車の音、聞くとたまらない気持ちになる。
 
 
2月15日
 今日も眠くて眠くて仕方がない。午前中に歯医者の予約をしてたけどすっぽかしてたくさん寝た。
 おやつとコーヒーと新潮を持ってまたベランダへ。昼前のベランダは日があたってサイコー。髪を日に透かすと枝毛がいっぱいある。背中に日差しをあてながら一時間くらい新潮を読んだ。
 家の電話が鳴って、見に行ったけど取り損ねる。大学の進路就職センターからの電話だった。何ヶ月も前から何度も何度もかけてくる。なんかハガキとかも送ってくる。そのたびに捨てるのがだるい。いやまだ何も決まってませんと言うことができないのでずっと無視している。留守電に切り替わったけどどうやったら電話に出れるのかわからず、留守電が録音されていくのを膝を抱えて見守った。進路を報告しないと卒業証書が受け取れないらしい。
 駅前に出て今後の予定について考える。考えるっていうかもう予定が無い。三月末までカレンダーが真っ白。誰との約束もないし行く先も決まってない。いま居なくなっても誰にも迷惑かけないと思う。しかし金もない。引き出しのなかにある32万円が全財産なんだけど、32万円でどこまで行けるんだろう。「ウラジオストクまで行ける」という情報を得るもグーグルマップではルートが出てこなかった。ウラジオストクはロシアの町。
 
 
2月16日
 黒い血。はじまっちゃえば眠気もなんとかなるから安心する。
 シーツを洗濯機に放り込んで歯医者へ。髪ボサボサでしかも手ぶらで行ったけど歯医者は優しい。髪ボサボサで顔洗っただけでも外出ていいんだなと思うとなんか無性に嬉しくなった。晴れてるし。コンビニすらかわいい。自転車立ち漕ぎした。帰りに冠羽をつけた小鷺を見た。
 就職に関する諸々をやるつもりだったけどベランダの日当たりが絶妙だったので、シュークリームとコーヒー連れてベランダへ。昨日今日はあったかい。上着着ないでも日向がぬくい。まだ春の匂いはしないけど梅のつぼみが膨らんできた。
 部屋の片付けして、お昼に冷凍チャーハンを食べた。冷凍チャーハン、うまい。眼鏡受け取りに行く準備を終えて、家出るタイミングでFから「暇ぽよ〜」という連絡がくる。いまから吉祥寺行くよと返してバスに乗る。
 誰にも相談しないで眼鏡買っちゃったから不安で仕方なかったけど、F連れて行って見てもらったらいいじゃんと言ってもらえたので安心した。うっかり高い眼鏡買っちゃってという話も、すれ違った女の子にキモって言われた話も笑い飛ばしてもらった。公園口の喫茶店はいっていつもどおり最近読んだ漫画の話とか、話の輪に入れず浮いちゃうことについての話をする。
 Fは昔から開ききってないドアとか、進行方向にある柱とかにドカドカぶつかる。自分の身体の大きさが把握できていないんだと思う。今日も机の下に落とした携帯を拾おうとして、わたしが気をつけなよと言うのにだいじょうぶ!いま椅子ひいたから!と言いながら、喫茶店の華奢な机をガタガタいわせていた。コーヒーとチョコレートのケーキ。
 喫茶店で先週出した履歴書が通った連絡を受ける。月末に面接とのこと。出さないより出したほうがマシだろ!という勢いだけで出してしまったので落ち込む。また面接で凹むと思うとしんどい。もうやだ。ほんとうにいやだ。しかも見ず知らずの土地まで行って面接受けなきゃいけない。自費だし。考えたくないのでFに市川春子の漫画を読んでくれ、頼む、お願いと猛プッシュすることでなんとか自我を保つ。プレゼンが功を奏し、帰宅後「虫と歌めっちゃエモいわ」と連絡がきた。やったぜ。
 師匠と先輩に面接決まったことを連絡。晩ごはんのあと先輩と電話で話す。先輩の「いや〜ぶっちゃけ帰ってきてほしいんだけど笑」に救われている。とても。わたしもぶっちゃけ帰りたい。でも向こうは一年しか契約ないし、またその後の身の振り方を考えなきゃいけないのがネック。先輩も一年後のことは何も保証できないけど、でも明らかに人は足りなくなるんだよね、チャンスあるかね、どうかね〜という話をする。毎回どうかね〜という話しかしてないけど、一人で悶々とするより断然救われる。こないだ、別れ際なんかふわっとしてごめんね、なんか話足りなそうなかんじだったでしょ、と言われて、うん、何か言いそびれたかんじがして、でも何言いそびれたかわかんなくて、めちゃくちゃさみしくなった〜と言った。言えてよかった。
 寝る前に鏡を見たら、じんましんが消えかかっていた。
 
 
2月17日
 まだまだ眠い。目が覚めたら11時半。
 ごはん食べたりうだうだしてる間にフィギュアスケートの実況がはじまった。羽生くん宇野くんの出番まであと数人だから見るか〜とこたつに入るけど、意外と長いよね。スケート。
 全く詳しくないけど、以前見た全日本大会かなにかの実況で、大きな舞台で思い切り転んだのに、演技後にペロッと舌を出してみせたのを見たときから宇野くんがかなり好きだ。失敗した演技のあとに涙をこらえてお辞儀をする選手はいっぱいいるけど、てへぺろできるのってすごいと思う。肝がすわっている。羽生くんの演技を見て、両手を上からゆっくり降ろす、というたったそれだけの動きで、すべての人間の視線を掴んだり、その場の空気を一変してしまえる人間っているんだなと思う。
 スケートの実況見終えたら風が強く吹き始めた。もう真冬の風じゃなくて、春が来る手前のグレーの雲だと思う。
 ツイッターで良いかんじのことを言う人たちのスポーツを茶化すツイートがめちゃくちゃ苦手で、見かけるとギーッと叫んで即ミュートしてしまう。「クロスカントリー競歩のスキー版みたいなやつ)とか何が楽しいの? みんなでそりすべりしたほうがはやいし楽しいのにねえ」みたいなやつ。いま適当に考えたのでうまく伝わるかわかりませんが。いやあなたに楽しさがわかんなくてもその競技に楽しさを見出してる人はいるんですよ、笑いを取るっていう見えにくい形で馬鹿にしたりしないで、と思う。わたしだってクロスカントリーとか、苦しそ〜と思うしどこに魅力を感じたらいいのかあまりわかりませんが、何が楽しいの? とは言えない! なぜなら自分が「そんなことしてて何が楽しいの?」と言われてちょっと傷つくことがたくさんあったからです。何が楽しいの? って質問、本当に知りたくて聞いてる誠意あるものだったらもちろん歓迎するけど、周りの笑いを取るために発せられるやつは本当にしんどい。しかも聞いてくるほうは無自覚だったりするし。
 午後、駅前ですこし考えごとをする。コーヒー豆ふた袋。
 
 
2月18日
 5:30に起きる。朝からたまごボーロ持ってベランダに出る。毎日が春休みなので曜日感覚がまるで無いけど、そういえば日曜日の朝だ。最近風もなくて日差しがあたたかくてベランダがサイコー。川を見るときと似た気持ちでベランダのことを愛している。
 進路就職センターに進路調査票も提出。選択肢が就職、進学、その他とあって、まあその他、家事手伝いとか家業を継ぐとかいろいろあるけどどれも当てはまらず、かといってまたその他の自由記入欄に書くほどの事情もないので、「就職活動継続」にチェックをつけ、大変厳しい気持ちになった。まだ決まってないだけだし。三月中には決めるし。たぶん。既にベッコベコのプライドをまたへし折られ、ベランダで漫画読んだ。
 このままではずっと沈んだ気持ちになってしまうことに危機感を覚え、水筒にお茶をいれて、湧き水の公園まで歩くことにする。途中、コンビニでおにぎりをふたつ買う。川沿いをずっとさかのぼって歩く。川はずっとだいたい同じ幅で、同じくらいの量の水草が生えている。上流の方が浅いかも。水が浅いというよりは遊歩道から川底までの距離が近い。いつもより近くからカモを見た。昼寝してた。
 湧き水の公園は狭いのに家族連れが二組くらいいて居心地が悪かった。まあ日曜日の昼だしなー。川の縁に沿ってスロープがついていて、湧き水のあたりまで降りていける。が、どこで水が湧いてるのかは全くわからない。ていうかほぼ水が無い。昔はもうすこし嵩があった気がするけど、ただの汚い水たまりじゃん。ペットボトルとかのゴミも多い。しゃがんで水だか泥だかわかんないのを眺めていたら、水たまりのなかに透明な小魚がすいすい飛んでいるのを見つけた。
 家族連れから離れて、川沿いのベンチでおにぎり食べた。川沿いを歩く老人が多く、いまいちゆっくりできない。遊歩道が狭いからどうしてもすごい近くまで来る。でも何人かやり過ごしたら静かになった。背中に当たる日差しが気持ち良かった。ぼけーとして畑を眺めた。
 午後は駅前に出る。やらなきゃいけないこともいろいろあるけど、そもそも何をいつやればいいんだかわかんなくなってしまったので、to doリストの管理を考えなおす。ここ数年wunderlistを使ってたけど、ファイルの分け方がしっくりこなかったり、優先順位がつけにくいかんじがする。タスク管理とかスケジュール管理とか、デジタルでやれると賢そうに見えるけど、自由度低過ぎてあんまり自分には合ってない。昔やってたふせんに書くのを再びはじめることにする。手帳と考え事する用のノートと、どっちも行き来するふせんを使うのが良さそう。
 手で書かないと考えがまとまらない。というか書いて考えるのが自分には合ってるんだなと思う。頭の回転がもっとはやかったら頭だけで考えることもできるんだろうけど、残念ながらわたしは頭だけでは考えられないので。書くのはいったん忘れられるところが良いと思う。考えがごちゃごちゃ渋滞して同じことを何度もループして考えてしまうときも、いったん書いて眺めると次の考えが浮かんでくることが多い。時間はかかるけど、まあポンコツポンコツなりの方法でやっていくしかない。
 
 
2月19日
 朝から母との会話の流れで「え、朝からめんどくさいんだけど」と言われる。つらい。母の言ってる意味がわからなくて、それってこれこれこういう意味?と聞き返したのだけど、それがめんどくさかったっぽい。そういうのってやっちゃいけないのか。認識が違ったまま会話するとめんどくさいからそういうのやってしまうけど、その瞬間自分のスイッチ入っちゃったなと思ったのも確かだし、かつそういうとき相手がめんどくさいなと思ってるのも正直わかる。日常的な会話ではそういうことをやっちゃいけないってことなのかもしれない。スイッチ入ってしまうかんじ、違和感を見逃さないという意味では役立つときもあるけど、めんどくさいと思われるのはつらい。自分でもきもさを自覚してるし。呻きながらタンスの中身を片付ける。デロデロの下着を捨てた。
 午後は駅前に出て考え事のつづき。日記を書くことですこしずつ考えが前に進んでいるような手応えがある。Twitterでイメージとか違和感をメモして、日記でもうすこし長い文章にして形をつくっていくかんじ。書いて考えるのが向いていると思う。これを仕事のことにも応用したいけれど、このアカウントでやるべきか、別のアカウントに分けるべきか、がここんところの悩み。ていうかもうそれしか考えてない。考えがぐちゃぐちゃになっていて全く整理できない。引き続きやってみながら考えよう。帰り道で遠い目をしている柴犬撫でた。
 夜、スカイプ飲み会。20人くらいいるグループでFと通話をはじめたら、地方にいる友達や普通に東京にいる友達がなんとなくやってきて、それぞれの部屋でだべりながら酒を飲む。わたしもマニキュア塗りながら喋った。スカイプ飲み会、出かける手間も省けるし、遠くにいる友人とも喋れるし、お金かからないし、良い。茨城にいる友達とわざわざ個人で電話しないけど、複数人で話しながら近況がきけるし。イタリアから参加してるやつもいた。なんとなく入ってくるやつがいるのとかも良いな。布団のなかでうとうとしながら、寝る直前までワイワイやってる声を聞いた。
 
 
2月20日
 昨日お酒を飲んだせいか、目が覚めたら11時すぎ。まあ、誰との予定もないしいいか。
 ベランダの具合が良いので身体に日をあてる。あったかくてサイコー。裸足で外に出ると楽しいし、外でなんか食べると美味しい。外で何か食べる場合、家のなかで使ってるものをそのまま持ち出すとより美味しい気がするけど、どうでしょうか。水筒で飲むお茶より外でマグカップで飲むコーヒーのほうが美味しいし、袋から直接たべるクッキーよりお皿にだしたどら焼きを持って外出て食べるほうが美味しいと思う。家の外でもこんなことやっちゃっていいんだ!みたいな背徳感? 寝間着のまま外に出るときと似た解放感かもしれない。年末にマグカップホットワイン飲みながらコンビニまで歩いていったことがあって、それもよかった。家のなかのゆるさをどこまで持ち出せるんだろう。いつか歯磨きしながらコンビニ行ってみたいんだけど、さすがにそれは許されないんだろうか。
 
  
2月21日
 眠い。朝ごはん食べたあと布団のうえでじっとしていたら陽がのぼっていた。
 やることがないので本を整理することにする。未だに行き先は決まってないけど、春には実家を出るはずなので、24年分溜まった本をなんとかしないといけない。
 部屋には本棚が三つあって、補欠の本棚、ゼミで読み込んだやつとこどもの頃から大事にしているやつの本棚、一軍の本棚に分かれている。新居にはギリギリまで絞った一軍だけを残したい。かといって実家には何も残すなという方針らしいので、手放す本はよく見極めないといけない。
 補欠の本棚はだいたいが大学生になってから適当に買った文庫本なので、そんなに迷わずブックオフ行きの紙袋へ。缶コーヒー感覚で文庫本買っていたことを反省した。図書館使って気に入った本だけ買うことにしよう。父の本棚からパクってきた本もかなりあった。
 漫画と文庫本合わせて60冊ちょっとを抱えて駅前のブックオフへ。千円くらいになった。これで舞城王太郎の新品のハードカバーを買おう。
 帰り道、頼まれていた牛肉ブロックを買いに行く。が、「牛ブロック無いんですよ」「えーと、じゃあ、カレーに入れる用の肉って、他に何かありますか」「豚コマとかですかねえ」「じゃあそれで……」という会話で人間との会話用の体力を使い果たしてしまい、340gでいいですか、という質問にはい、と言ってしまった。ほんとは400g欲しかった。もうすこし多めで、とか言えばいいだけなのに、牛か豚かのやりとりで既に店員を困らせているので、これ以上手をわずらわせてはいけない!と思ってしまった。いやそんなことないんだけど。
穂村弘の「本当はちがうんだ日記」に「現実圧」という章があって、レジでおつりをスムーズにしまうことができない、落ち着いて小銭をしまえばいいのに、すっとレジを離れなければいけないような気がしてしまう、自分だけが感じている現実の圧に耐えられない、という話をちょうど読んだところだった。いやちょっとわかるけど小銭しまうくらいできるだろ、と笑いながら読んでいたんだけど、完全に同類だと思う。肉屋の圧とか気にせず、優雅に小銭をしまい、堂々と肉もうすこし多めにくださいと言える人間になりたい。
 
 
2月22日
 悩んでいたらどんどん自分が悪いという頭のなかの声が大きくなってきて、いままでに言われたへこむ言葉とかをどんどん思い出し始めて、よくないので外を歩く。もうだめだーになったら、おにぎり食べて、わかめスープ飲んで、頭痛薬飲んで寝る、をやるんだけど、外の空気を吸うことと「ようこそ!ジャパリパーク」を聴くのもかなり重要だと思う。
 
  
2月23日
 朝から歯医者。近所のファミマにからあげくんの包装紙をかぶったカカシが立たされて、バイト募集の看板を掲げていた。腕はめちゃくちゃ適当な棒なのに、誰かの古着であろうジーンズとスニーカーを履かされていて、そこだけやけに人間っぽい。異様な空気を放っていた。こいつにもバイトを募集するという仕事があるというのに、今日も無職でごめん。よく見たら「からあげ先輩」って書いてあった。霧雨がふってて寒い。
 窓際に置いてた亀甲竜を久しぶりに観察する。根がふくらみを取り戻しつつあって感動した。冬の間は成長も止まるし適当でいいかと水をやらないでいたら、こないだ根がしぼんでいるのを発見して、慌てて二ヶ月ぶりに水をやった。ちゃんと元の形に戻るっぽい。すごいな植物。去年の春の写真と見比べても確実に大きくなっている。夏から秋にかけて、机の前から動けず辛かったときも、毎日ぐんぐん成長する亀甲竜にかなり癒されていた。春が来たらまた葉が落ちるだろうけど、来年はもっとでかくなるといいなあ。
 午後は駅前に出てアカウント分けるか否かについて考えるが納得する答えが出なかった。ていうかこんなことしてる場合じゃないと思う。面接が迫ってるのに考えが進まない。全然だめじゃん!の気分に襲われつつ帰宅。
 日記を更新する。日記を書くと誰かしらがいいねとかスキしてくれるので自尊心が慰められる。もっと自尊心を慰めたいので、日記じゃなくてお話を書きたいけど、いやそれより面接だろという現実が迫っていてなかなか書けない。承認されてー。
 
 
2月24日
 9時すぎくらいに「起きたよ」とAちゃんに連絡。ベランダでお餅を食べる。Aちゃんからは「まだパジャマ〜」以降連絡なし。駅前のミスドで一緒に受験勉強してたときも、「どうせ寝坊するからはやめの集合時間に設定しとこう」「起きたら連絡するね」というガバガバなやりとりをしていたことを思い出した。懐かしー。もうあのミスド潰れたけど。
 ガバガバなかんじのままバスに乗って会場へ。高校の軽音部のOBライブ。三つ上の先輩から現役の子まで出てる。三つ上の先輩は相変わらずシュッとしてて細いし、現役高校生の子たちも相変わらず前髪が長い。あの高校っぽさってあるんだな〜と思う。ていうか10年経っても変わらずにいられるってすごい。高校生のときから自分の核を握ってそのままぶれずにここまで来てるんだな。わたしやAちゃんはけっこう変わったと思う。会場に来てたEちゃんやN井は、核は変わらずパワーアップしてるかんじ。
 ライブ後、AちゃんとEちゃんとお昼ごはんを食べる。Aちゃんは短い東京滞在の間にライブに行きまくると宣言して、一足先に次のライブへ出かけていった。いつもわたしたちが電話する時間より、現実で会ってた時間のほうが短かった気がする。
 お昼ごはんの店を出て、打ち上げが終わったN井と合流。喫茶店で他の友人たちの噂話で盛り上がる。元軽音部の友人たちは、全員で集合するような協調性を持ち合わせておらず、特に決まった組み合わせもないので、最近会った奴の近況を伝え合うことでなんとなくみんなのことを把握している。EちゃんとN井と三人で会うっていうのもはじめてかも。わたしのいる飲み会に来なくなったOが、誰に会っても病みアピールしまくっているという話は聞いていたのですが、最近会ったEちゃんによると「やけに元気だと思ったら、怪しいサプリ?飲んでた…」とのこと。申し訳ないけど吐くほど笑ってしまった。噂が巡り巡って「Oはクスリやってる」という話が広まっているらしい。全員デリカシーが無い。
 高校一年生の夏、来たるべき文化祭のライブに向けて練習していたら、「衣装どうする?」と言い出したY介が、いや衣装とかいらんやろというわたしたちの声にも耳を貸さずに黒い皮と銀のチェーンでできたファイナル・ファンタジークラウドの衣装を「これ一万円くらいしたんだ」と取り出し、もう何も言えず、Y介だけクラウドのコスプレで文化祭に出てアジカンをやった、という思い出話で盛り上がり、急遽Y介を呼び出すことに。
 居酒屋に現れたY介を見るだけでおもしろい。Y介は三人以上いる集まりにはけっして来ないというポリシーを持つコミュ障なので、呼び出して来てくれるのは珍しい。なんで三人以上だと来ないのと聞いてみたら、「大人数だと話す内容が分かれるかんじがやだ、あと発言の余地が無いとあとで落ち込むから」とのこと。高校ではコミュ障キャラの席しか残っていなかったけど、他ではそれぞれキャラを変えており、会社では「大口を叩いて上司に可愛がってもらうキャラ」をやっているらしい。生来のコミュ障だと思ってたけど見直した。
 四人で意識や夢の話などで盛り上がる。N井が「あたし小さい頃、自分は本当はかりあどどうしの子供だと思ってたんだよね」と言い出す。「何、かりあどどうしって」「……バッタ?」かりあどどうしの絵を描いてもらうが、N井の絵では何もかもわからない。「二足歩行のバッタ。重要なのは、これがタオル生地でできてるってことなんだよね」とのこと。生まれる前に、かりあどどうしの子である自分と、N井家に生まれるはずだった男の子が入れ替わったらしい。かりあどどうしのお腹のなかには六万個のエスカレーターがあった、という話を聞きながら、N井家に生まれるはずだった男の子の行方が気になった。
 
 
2月25日
 Eちゃんとふたりで終電を待っているときに、「さっき言えなかったけど、あたし親友っていないな。あえていうならおせちかも」と言われてドキドキした。
 Eちゃんは昔から歌も絵もうまくて、どんどん自分でつくるし、すごい存在感を放つ女の子だった。けどそういうキャラとして完成されすぎて、弱音を見せたりできる相手が限られているところがあって、それがたまたまわたしだったんだと思う。そうかーと言ったけど、なんか別れたあともそのことを考えた。
 高校の入学式、中学の知り合いが誰もいない遠くの高校に行って、これで変われるかもって期待と緊張で肩めっちゃ上げながら教室入って、出席番号で一番前の席だったから、ビビりながら後ろ振り返って教室見渡して、ひとりだけ色とりどりの服着た座敷わらしみたいな子が一瞬見えて、あの子と絶対友達になりたい、と思ったのがEちゃんだった。高校生の頃のEちゃんはもっと宇宙人ぽくて、浮世離れしたかんじだった(あたし右と左わかんなくて、わかんなくなったときは両方の手のひらに自分の名前書いてみるのね、うまく書けたほうが左?あれ?右?なんだけど、どっちもうまく書けちゃってわかんないんだよね、などと言っていた)から、こんなふうにちょっと甘えられる日が来るなんては思ってもみなかった。
 東京を離れたらEちゃんに手紙でも書こう。手紙だけじゃなくて、なんか落ちるものも入れようかな。葉っぱとかシールとか。
 久しぶりに飲んだお酒のせいで今日は一日中ゴロゴロしていた。
 
 
2月26日
 特に理由もなく昼に起きる。何もしてないのに昼になってると落ち込む。というか面接が迫ってるのに何もしてないから、焦りと不安でだめになってるんだと思う。
 夕方になってからなんとか駅前に出る。面接の準備をした。したけどこれでいいのかわからん。何がやりたいのって聞かれていつもうまく答えられない。ていうかそんなふわっとしたこと聞くなや、質問がわりーだろ、とブチ切れつつ帰宅。
 夜、Aちゃんに電話する。うまく言えないのはうまく言えないですって言っちゃえばいいんだよ、変に繕おうとするより正直に言っちゃって、こいつ欲しいなって思わせればいいんだよ〜という言葉をもらう。忘れないように寝る前にもう一回唱えた。
 こないだの四人で飲んだときとか、Aちゃんとの電話とかで、うまく話せないなりに言いたいことを言おうとはできたな、という感触がある。この感触を忘れないまま面接に行けるといいんですけど。